大地震を恐れない人々(3)

以下は、寺田寅彦「震災日記」の一部引用です。

九月一日 (土曜)
 朝はしけ模様で時々暴雨が襲って来た。非常な強度で降っていると思うと、まるで断ち切ったようにぱたりと止む、そうかと思うとまた急に降り出す実に珍しい断続的な降り方であった。雑誌『文化生活』への原稿「石油ランプ」を書き上げた。雨が収まったので上野二科会展招待日の見物に行く。会場に入ったのが十時半頃。蒸暑かった。フランス展の影響が著しく眼についた。T君と喫茶店で紅茶を呑みながら同君の出品画「I崎の女」に対するそのモデルの良人からの撤回要求問題の話を聞いているうちに急激な地震を感じた。椅子に腰かけている両足の蹠うらを下から木槌で急速に乱打するように感じた。多分その前に来たはずの弱い初期微動を気が付かずに直ちに主要動を感じたのだろうという気がして、それにしても妙に短週期の振動だと思っているうちにいよいよ本当の主要動が急激に襲って来た。同時に、これは自分の全く経験のない異常の大地震であると知った。その瞬間に子供の時から何度となく母上に聞かされていた土佐の安政地震の話がありあり想い出され、丁度船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れるという形容が適切である事を感じた。仰向いて会場の建築の揺れ工合を注意して見ると四、五秒ほどと思われる長い週期でみし/\みし/\と音を立てながら緩やかに揺れていた。それを見たときこれならこの建物は大丈夫だということが直感されたので恐ろしいという感じはすぐになくなってしまった。そうして、この珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精しく観察しようと思って骨を折っていた。
 主要動が始まってびっくりしてから数秒後に一時振動が衰え、この分では大した事もないと思う頃にもう一度急激な、最初にも増した烈しい波が来て、二度目にびっくりさせられたが、それからは次第に減衰して長週期の波ばかりになった。

大地震は、「丁度船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れる」ものなのですね。
「全く経験のない異常の大地震」であると感じながら、建物の揺れ具合(揺れの周期)を冷静に見極め「この建物は大丈夫」と判断し、「この珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精しく観察しよう」という、恐ろしいまでの科学者精神を発揮しています。
生死を分けかねない瞬間のこの判断は、理性的と言えるかどうかは別として、すごいとしか言いようがありません。
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大地震を恐れない人々(2)

地震と言えば、寺田寅彦(物理学者かつ随筆家)の名を忘れることはできません。
「天災は忘れた頃にやってくる」というかの名言は、寺田の言とされています。
今村明恒『地震の国』(文藝春秋新社、1949年)に、 「天災は忘れた時分に来る。故寺田寅彦博士が、大正の関東大震災後、何かの雑誌に書いた警句であったと記憶している。」 とあります。
しかしながら、実際の寺田の著作の中にズバリそのままの文を見いだすことはできません。

寺田は地震に関する著作を多く著しています。
その一つ「天災と国防」の中に、以下のような一節があります。

それで、文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。

ここに書かれていることは、「天災は忘れた頃にやってくる」という内容そのものです。
初出は『経済往来』(1934年11月)であり、ひょっとしたら、今村はこの文章に言及しているのかもしれません。
なお、今村は高名な地震学者で、関東大震災を予知したことから「地震の神様」と呼ばれています。

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大地震を恐れない人々(1)

近い将来、大地震が発生する確率が次第に上がってきており、どうも落ち着かない感じです。

1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒頃、関東地方を大地震が襲いました。
マグニチュード7.9、最大震度6の「関東大震災」です。
多くの人が震災体験を文章にしたためていますが、中には地震を恐れるどころか、地震を冷静に観察する(あるいは楽しむ)変わった人もいたようです。
以下は、植物博士として知られる牧野富太郎氏の自叙伝より。

震災の時は澁谷の荒木山にいた。私は元来天変地異というものに非常な興味を持っていたので、私はこれに驚くよりもこれを心ゆく迄味わったといった方がよい。当時私は猿又一つで標品を見ていたが、坐りながらその揺れ具合を見ていた。そのうち隣家の石垣が崩れ出したのを見て家が潰れてはたいへんと庭に出て、庭の木につかまっていた。妻や娘達は、家の中にいて出てこなかった。家は幸いにして多少の瓦が落ちた程度だった。余震が恐いといって皆庭に筵を敷いて夜を明したが、私だけは家の中にいて揺れるのを楽しんでいた。後に震動が四寸もあったと聴き、庭の木につかまっていてその具合を見損なったことを残念に思っている。その揺っている間は八畳屋敷の中央で、どんな具合に揺れるか知らんとそれを味わいつつ座っていて、ただその仕舞際にチョット庭に出たら地震がすんだので、どうも呆気ない気がした。その震い方を味わいつつあった時、家のギシギシと動く騒がしさに気を取られそれを見ていたので、体に感じた肝心要の揺れ方がどうも今はっきり記憶していない。(中略)それを左程覚えていないのがとても残念でたまらない・・もう一度生きているうちにああいう地震に遭えないものかと思っている。
(牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』講談社学術文庫、2004年、82-83ページ)

地震の揺れ方を十分味わえなかったことを残念に思い、生きているうちにもう一度大地震に遭いたいと願う・・剛の者というか、科学者魂というか、なかなかの感性です。

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陶磁の里

有田焼の窯元を訪ね歩くのも楽しいですが、数が多すぎてなかなか回りきれません。
そういうときは、有田陶磁の里プラザ(有田焼卸団地)。
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現在、22軒の陶磁器店が軒を連ねています。
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ざっとウィンドーショッピングをするだけでも、現代の有田焼や伊万里焼の多様性が理解できます。
伝統的なスタイルのものもありますが、
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こんなモダンなデザインの磁器も。
日本の焼き物と言うより、洋食器に近いですね。
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デザインといい、色合いといい、実に明るく美しく、食事が楽しくなりそうです。
モダンで洗練された印象を受けるのは、「陶器」ではなく、「磁器」ということもあるのでしょう。
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プラザの奥には「茶碗みこし」が鎮座。
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こうして見ると、お茶碗も実にカラフルです。
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秋の「ちゃわん祭り」には陶山神社の宮司さんを招き、この茶碗みこしの前で茶碗供養を行います。
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陶工の神様(2)

そのほか、境内にはさまざまな磁器製の奉納物があります。
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磁器製の狛犬は、明治20年(1887)、赤絵町第十代今右衞門の奉納。
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大水瓶は明治22年(1889)、中の原町の奉納。細工人は井手金作と小山直次郎、絵付けは川浪喜作。
高さ109センチ、径90センチ。有田焼の大物製作が頂点を極めた時代の作品ですが、現在、ろくろ成形でこれ以上のものを作るのは難しいと言います。
技術的にも非常に精巧な出来です。
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拝殿正面の上部には、「陶山社」の大皿の扁額。
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焼き物の産地ならではの神社信仰のあり方、興味深く感じました。

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「徳島の祭りと民俗芸能の単独悉皆調査」という無謀な仕事を、気合いで進めています。

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